2017年4月12日水曜日

藏本龍介(編)2017年3月『南山大学人類学研究所公開シンポジウム 講演録 「宗教組織の経営」についての文化人類学的研究』

講演録表紙
昨年12月に南山大学で発表したシンポジウムの講演録ができました。

これは編者の藏本さんが主催する研究プロジェクトの中間報告的な位置づけの報告書です。このプロジェクト自体は2010年ころから小さく始めていて、もう足かけ7年に渡って続けています。一昨年、小さな研究費がとれたのを契機に、この講演録でご一緒している門田さん、岡部さん、そして、ここには出てきませんが、東賢太朗さん(名古屋大学)や中尾世治さん(地球研)と言った、元気のいい若手研究者が集い、切磋琢磨してきました。僕は毎度この研究会の濃密な議論についていくのが精いっぱいで、勉強させていただいているだけですが、手弁当で始めた研究会の成果が、現物として出てくると非常に感慨深いものがあります。

しかし、これはあくまで「中間」的なもの。今年はこれを元に学会発表があり、新たな研究プロジェクトへの昇華という作業があります。振り落とされないように、頑張ってついて行きたいと思っています。

恐らく近いうちにお配りできるものが出てくるはずですので、ご関心のあるかたは、以下のURLからお申し出ください。

http://shimizujbfa.wixsite.com/shimizupage/contact

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2017年4月11日火曜日

子ども研究と子育て Vol.15 保育園に行き始める

20170330
正月よりも「新年」を感じる4月。僕は今年度も広島に残ることになったけど、うちにも少し「新年」がやってきた。貴一朗を出産する1月前まで働いていた連れ合いが仕事をはじめ、それに伴って、貴一朗が保育園に行くことになった。

「保育園落ちた日本死ね」というのが流行語になり、我われも我がことのように戦々恐々とした。しかし、当時はまだ連れ合いの仕事が決まっておらず、面接のときには、かろうじて大学職員用の保育園に一時保育をお願いすることができたけど、仕事先の試験では子どもを連れてきてはいけない、と言われる。そもそも、企業なりのやり方がまったく子育てに優しくない、「日本死ね」の意味が身に染みてわかった。

ともあれ、本当に幸運にも、僕の職場の建物から徒歩圏内の認可保育園に決まり、貴一朗は今月から保育園に行くことになった。1歳1か月。連れ合いともども、実はとてもとても切なくて、もう少しそばで育てたいと切に思う。だけど、うちのこれからのことを考えると、どうしても連れ合いも働かねばならないし、本人のキャリア的にも働いたほうが良いのは間違いない。

他方で、アフリカの社会に思いを馳せると、実は、保育園など、アフリカの村では無縁で、これは間違いなくアフリカの大家族制があるからである。日本でも2世帯、3世帯で暮らしているところは、本当は保育園というのはいらないのではないか?日本の保育園というのはご存知の方も多いと思うが、「教育機関」ではない。「保育」するところなのだけど、昨今の保育園はずいぶんと「教育」をしようとするところが多くなっているようだ。「教育」は社会化を促す営みであるのは間違いなくて、それは家族内であっても、より他者性の強い保育園の場であっても、(母)親以外の人に接する場があればよいように思うのだけど、それゆえに、何か、家族の中で育ててあげたい気がする。

朝、貴一朗を保育園に送り届けると、彼は僕の足にすがって号泣する。そのうち慣れるよ、と思いつつ、「ごめんな…」とつぶやきながら研究室に向かう…毎日遅い昼飯を食べると、あとは、貴一朗を迎えに行く時間から逆算して怒られない程度の仕事をして、貴一朗を迎えに行く。保育士さんに涙目で抱っこされている貴一朗が僕の姿を認めると、ぴたりを泣き止んで、体を乗り出す。普段は暴れる抱っこ紐に入れられるときも、この時ばかりはおとなしい。10㎏になる体重をすべて預けて、帰り道をゆらゆらと歩いて、帰る。今までもあらん限りの時間を使って愛情を注いできたつもりだけど、保育園に切り取られた時間分の愛情を注がなければならないような強迫観念にも駆られてしまう。きっと家族に預けておけばそんな思いもしないのだろうな…と、保育園に行かせることが、何かを失っているような気までしてきてしまう。

過保護…ですかね…

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2017年4月4日火曜日

オマール・カナズエ その1 はじめに

http://www.africansuccess.org/docs/image/Kanazoe-Oumarou_3.jpgより
Oumarou Kanazué(ウマルゥ・カナズエ 1927~2014)。ブルキナファソに少しいたことのある人なら聞き覚えのある名前ではないでしょうか。ブルキナファソきっての富豪で、同国おそらく最大の建設会社を一代で築き、私財を投じて多くのインフラを整備した、ブルキナファソの英雄の一人です。

写真からもわかるとおり、カナズエ師は敬虔なムスリムで、彼の偉業のチャリティの部分は少なからずイスラームの教えに基づいたものだったと考えられます。残念ながら、3年ほど前に他界してしまいましたが、今でもブルキナファソの至る所に彼の名を冠した建設物があり、多くの人びとの記憶に残っている存在だと言えるでしょう。

突然、なぜ彼のことを書こうと思ったかというと、現在の研究テーマのいくつかを考えるとき、実は結構な頻度で出てくる名前だったため、少し新聞記事でも集めて読んでみようと思ったことがきっかけです。研究テーマというのは、ブルキナファソのイスラームや歴史のことなのですが、以前からいろんなところでカナズエ師のことがでてくるのです。もちろんずいぶん前から名前は知っていたし、なんとなくその功績も知っていたのですが、いずれも断片的なもので、少し詳しく調べてみようと思い、Webで集められるだけの新聞記事を切り抜いてみました。もちろんカナズエ師の伝記を書くわけではないので、かなり限定的になりますが、ブルキナファソを知るうえで非常に重要な人物の一人ですので、情報をシェアできれば、と思っています。

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子ども研究と子育て Vol14 食について

貴一朗が1歳と3か月目に入り、日々いろいろなことができるようになっていくのですが、中でも、食事の変化は本当に目まぐるしい。つい年明けくらいまでは、お粥を喜んで食べていたのに、最近では、大人と同じようなコメを食べられるようになったばかりか、食べたことがないもの、親が食べているものに、ずいぶん興味を示すようになりました。

三つ子の魂百まで…もしこれが本当なら、今の時期にいいものを食べておいてほしい、と思い、出汁だけは結構な値段のするものを使っているし、できるだけ自分たちで作るように(何を食べさせているかわかるように)しています。一時期は居酒屋をやることを本気で考えたのに、最近では、自分の料理のレパートリーの少なさを嘆くばかり…つまみならそこそこ作れるけど、ちゃんとした食事は意外に作れない。そして、刺激物を控えていると、全部あまっからい味付けになるという…いかに辛さで味をごまかしていたか…

そんなこんなで、昨日あたり、ちょっとネットで貴一朗と同じくらいの子が何を食べているのか、というのをネットで検索。カレーやらコショウやら、今まで控えていたものが意外に食べられるらしい…少しホッとしたけど、それでも、やはり辛い物はダメだし、ポーションが大きいとすぐに吐き出してしまうので、相変わらず貴一朗の食事は繊細であることは間違いない。

そんな中、土井善晴さんのインタビュー記事にこんなフレーズが載っていた。

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家庭の料理には教育機能が備わっています。たとえば、子どもがお母さんに料理を作ってもらうとき、一回の食事だけでも膨大な情報がやり取りされています。子どもは野菜を切ったり炒めたりする音を聞き、その匂いを嗅ぎ、食べて「おいしい」「今日のみそ汁はしょっぱい」と味の感想や違いを言ったりする。
意識していなくても子どもは食べる経験を通してたくさんのことを教わり、親からの愛情を受け取っている。その繰り返しが情緒を育みます。…
作る側と食べる側。料理にはこの両面があります。作り手が気を張って手間暇かけた料理を出すよりも、「今日はこれしかないからごめんね~」と笑って出してくれる料理のほうが家族はみんな幸せになれる。…
ご飯を炊いて、そのあいだにおかずを兼ねた具だくさんのみそ汁を作れば5分、10分で一汁一菜の食事が完成します。みそ汁の具は何を入れてもいい。これなら誰でも作れるし、毎日続けられます。男女の区別もありません。
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なんか癒される…と思っていたけど…

意識していなくても子どもは食べる経験を通してたくさんのことを教わり、親からの愛情を受け取っている。その繰り返しが情緒を育みます。…

作る側と食べる側。料理にはこの両面があります。作り手が気を張って手間暇かけた料理を出すよりも、「今日はこれしかないからごめんね~」と笑って出してくれる料理のほうが家族はみんな幸せになれる。…」

できれば、いいものを「経験してほしい」という親心があれば、どうしても、「今日はこれしかないからごめんね~」はできるだけ少なくしたい。「おふくろの味」というのは、みんなCookpadを使うし、これだけグローバリゼーションが進めば、だんだんなくなっていくのでしょう。でも、土井さんの言うように、間違いなく「一回の食事だけでも膨大な情報がやり取り」されるのは間違いないでしょう。たとえ、自然に触れた生活をしていなくても、その土地の環境や風土には間違いなく影響されます。たとえば、京都のスーパーで刺身で喰える鯛一本がいくらするか…そもそも、スーパーにそんなもんが置いてあるのか、という話なわけです。だから、「これしかない」のレベル、少しでも上げたいな、と思うわけです。

まあ、この記事は、バランスをとりなさいよ、という土井さんの「主婦」への優しいまなざしはヒシヒシと感じつつ、きっともっと楽しんで料理ができるようになれば、もう一方の子育てを励ます人たちがいうような、「親子で食事を楽しんで、お子さんに食事が楽しい時間なこと」を両立できることでしょう。そういう空間を目指さないといけないな、と思っています。

【参考資料】
「家庭料理はごちそうでなくていい。ご飯とみそ汁で十分。土井善晴さんが「一汁一菜」を勧める理由」(http://www.huffingtonpost.jp/2017/03/23/yoshiharu-doi-ichijyu-issai-2_n_15561352.html?ncid=fcbklnkjphpmg00000002)





2017年3月31日金曜日

田中樹(編)『フィールドで出会う風と土と人』が出ました


今年度のプロジェクトの成果物第3弾。最後なので結構出ますね。

先日、『ブルキナファソ バム県の生業・砂漠化対処・開発のモノグラフ』に続き、田中樹(編)『フィールドで出会う風と土と人』が出ました。「砂漠化をめぐる風と土と人」というプロジェクトの名前を冠したこの本は、これまでにPL(プロジェクトリーダー)、研究員がホームページや外部の雑誌などに書いてきたエッセイを集めたものです。プレフェイスを読むと、PLの研究への姿勢が明確なのですが、より多くのヒトとの間で僕らの研究をシェアできるように、こんな思いが込められて作られたものです。もちろん、学術的な成果は研究所として当然、研究員も自分のキャリアを考えれば、自動的に出すだろう、という前提のもと、こういう仕事は割と普段からいろいろと仕掛けてきました。

本当に「書き溜めた」というのが正しくて、不定期でしたが、プロジェクトのHP、他団体のニューズレターなどなど、いろいろなところに書いたものを加筆修正して掲載しました。僕は何を書いたか、と言えば、大方食べ物の話…ですね。こんな感じです。

担当箇所
✓「アフリカの知恵と私たちが今すべきこと」pp20-23
✓「西アフリカ外食紀行 その1-西アフリカの食のコスモポリタン」pp34-36
✓「西アフリカ外食気候 その2-セネガルの食の不思議」pp37-40(手代木功基との共著)✓「「ト」の好み」pp41-47(宮嵜英寿との共著)


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2017年3月30日木曜日

地球研「砂漠化をめぐる風と人と土」プロジェクト2017『フォトエッセイ フィールドで出会う暮らしの風景』

201703発行
表紙の写真の上が少し切れましたが、こんなのが出ました。地球研の砂漠化プロのメンバーが撮りためたフィールドの写真集です。

就職のことを考えたり、あと何年できるかわからない調査のことを考えると、「論文」とか「著書」という形をとったほうがいいのですが、本当はこういう仕事の方が楽しいです。でも、僕は写真家でも、旅行家でもなくて、こんな適当な仕事は研究者だから許されるのですが。

改めて見てみると、5年間、いろんなところに行かせてもらったな、と思います。感謝感謝です。

こちらの本は紙媒体では出ません。完全にWeb上で、無料です。以下のURLから落としてご覧ください。

PDF: http://archives-contents.chikyu.ac.jp/3701/photo_book_150dpi_PC.pdf

i Tune U: http://itun.es/i67G3PL

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足元をしっかり固める:石井洋二郎さんの送辞と英心高校の野球部

3月。別れの季節です。以前も立教中学と立教大学の卒業式の送辞を並べてみましたが、東日本大震災に言及したもので、実に味わい深くて、とてもよい贈る言葉、だと思い、こちらのブログでも紹介してみました。

日本の4月はじまりの年度である限り、こうしたサイクルは繰り返されるし、最近はネットのニュースもこれが恒例のネタになってきている気がするので、あんまり乗っかりたくはないのですが、それでも、校長先生や学長、総長がずいぶん練ってきた文章。とても染み入る文言がちりばめられていました。今年は東大の石井洋二郎教養学部長の送辞がたくさん上がっていました(ネットのニュースも、東大か…という意味ではがっかりですが)。

情報が氾濫し、その「正しさ」も明らかでないうちに、リツイート、シェアを繰り返すことで、情報が明らかに誤った方向に行ってしまうことを嘆き、そうした状況に抗する力になるのが「教養」というものではないか、ということ。以前、濱田元東大総長が話したとされる「肥った豚よりも痩せたソクラテスになれ」というフレーズがいかに誤解されたか、という事例を用います。こうした批判精神をもって、世の中を照らしてほしい、という石井先生の願いが籠った、カレジャブルな一節です。

「あらゆることを疑い、あらゆる情報の真偽を自分の目で確認してみること、必ず一時情報に立ち返って自分の頭と足で検証してみること、この健全な批判精神こそが、文系・理系を問わず、「教養学部」という同じ一つの名前の学部を卒業する皆さんに共通して求められる「教養」というものの本質なのだ」

そして、石井先生はこのように続けます。

「それはドイツの思想家、ニーチェの『ツァラトゥストゥラ』に出てくる言葉です。
きみは、きみ自身の炎のなかで、自分を焼きつくそうと欲しなくてはならない。きみがまず灰になっていなかったら、どうしてきみは新しくなることができよう!
皆さんも、自分自身の燃えさかる炎のなかで、まずは後先考えずに、灰になるまで自分を焼きつくしてください。そしてその後で、灰の中から新しい自分を発見してください。自分を焼きつくすことができない人間は、新しく生まれ変わることもできません。」
僕もそろそろ焼き尽くしてしまうと立ち上がれなくなりそうな気がしないでもないのですが、こういう気持ちは大切だな。守るものができたからと言って、それではいかんな、と自戒させられます。
(Huffingtonpost, 20170329, http://www.huffingtonpost.jp/2015/04/08/tokyo-university-speech_n_7022498.htmlより)

こんな記事を読んでいたら、ちゃんと「灰」になった高校生の話が出てきました。三重県の英心高校という学校の野球部は、三重県の予選で強豪、宇治山田商業(なんと僕の亡父の出身校!)に0‐91という記録的な大敗を喫します。この高校は、もともと不登校の生徒を多く受け入れていた高校で、どうも部活どころの学校ではなかったよう。しかし、休み時間には、キャッチボールをする生徒もちらほらと。野球経験のある豊田先生は、野球を楽しめるように「部活」を作ったという。昨年7月の最初の試合では「バット1本、ボール10球、ヘルメットは相手から借りる」という状況の中、0‐26という大差で負けてしまう。そして、春の予選、0‐91という点差で負けてしまう。

僕もラグビーで100点ゲームを経験したことがありますが、もう相手に触ることすら怖くなってしまうんですね。野球の91点というのは、それ以上に心を折られる経験だったかもしれません。こういう試合をグランドで耐えた選手たちもそうですが、こんな風に言える豊田先生も立派です。

「今までは、ピッチャーがストライクに入らず四球が続く試合ばかりでした。すると、相手チームは20~30点も差がつくと、試合を終わらせようとバントして自らアウトになるんです。でも今回の宇治山田商は県屈指の強豪ですが、フルメンバーで最後の最後まで攻撃の手を緩めませんでした。うちのピッチャーもストライクを入れられるようになりました。これは『終わらせてもらっていた試合』と違い、勝負の中ではっきりとついた91点差だったと思っています。初めてチームとして認められたという感覚でした」

(J-castニュース, 20170328, https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170328-00000007-jct-soci&p=2)

部員の中に「不登校」の生徒が何人かでもいたなら、ちょっと怖い感じすら受けてしまいますが、監督さんを含めて10数名、本当に「灰」になり、もうすでに新たな息吹すら感じられます。こういう生き方を見せられると、少し勇気が出てきます。

東大と英心高校、いろんな意味で対照的な学校です。英心高校の生徒が体験したこの大敗は、きっと豊田監督が代弁しきれているとは到底思えない…のですが、きっと東大の石井先生が引いてきた『ツラトゥストゥラ』の一節は、きっとこんな体験のことを指しているのだろうと思います。素晴らしい話を聞き、また、素晴らしい経験をした若者たち(という言葉を使うようになってしまった…)が伸び伸びと羽ばたける世界が待っていますように。

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